今日は、最澄の天台宗が公認された日です。
伝教大師最澄。延暦23(804)年から翌年まで唐に渡り、天台山にのぼって天台教学を受けました。
その年、日本に帰国した最澄は、すぐに天台教学を広めはじめて、翌年の延暦(806)年1月、天台法華宗として認められました。
そして比叡山延暦寺に戻り、円仁(慈覚大師)や円珍(智証大師)など多くの僧侶を輩出することになります。
「すべての衆生は成仏できる」という法華一乗の立場を説き、奈良仏教とは対立しました。
それまでは、国につかえる人たちが主な対象でした。一般の人はもちろん、罪人にも関りがあるため、人々に大きな影響を与えることになります。さらには奈良仏教で独占していた、僧侶として認められる具足戒を授かる戒壇院を上回る、大乗戒壇を比叡山に設立させることも目指していたからです。
大乗戒壇とは、大乗戒を受けた人を天台宗の僧侶と認めて、12年間を菩薩僧として比叡山で学問や修行を修めるというものでした。ちなみに、この設立が許されたのは論争が続いたのち、最澄が亡くなった後になります。
そして最澄は総合仏教としての教義確立も目指しており、法華経を基盤とした戒律、禅や念仏に密教の融合を求めるも生涯かなわず。没後に、円仁や円珍などの弟子たちが意志を受け継ぎ、密教を学び直すことで、悲願を達成させました。
昨年に初めて、その戒壇院が一般公開されました。さいわい訪れることができ、最澄についても本で学んでいたので、とても貴重な体験をさせていただくことが出来ました。
本人は知らないけれど。命がけで遣唐使として中国に渡り、設立したものは理想の姿となりました。
そのおかげで、より多くの素晴らしい僧侶が誕生し、人々を幸せに導きました。それは生きている時だけでなく、この世を去るときも。その後も。
直接、関わりがあるわけではないけれど、何とも言えない感謝の気持ちがあふれてきます。
今、コロナウィルスの影響で、失っているものもあるけれど。
それ以上に、昔はなく今は与えられているものの多さにも気づくことのできる時だと思います。
当たり前のように思っていることは、誰かが当たり前にしてくれたのかもしれない。
今、不自由なく生きられていること。平均寿命がのびていること。さまざまな体験が出来ること。限られた時間を有効につかうことが出来ること。
蛇口をひねれば水が出て、安全に温かいお湯を沸かしたり、暖かく部屋で過ごせる。
きれいな空気、安全な食べ物。朝はやくても、夜おそくても外にでることが出来る。
もしもの時には、ほとんどの病気やケガを治療してくれる病院がある。
車や電車で遠くに行っても、その日のうちに帰ってこれて。
家にいても、たくさんの人や情報とつながることが出来る。
他にも色々、誰にでも今の時代だから簡単に手に入れることができるものがある。
それに気づけるかどうかで、心豊かに過ごせるかの度合いも違ってきますよね。
たとえば居酒屋など、外で飲める場所は今、時間が限られてしまうけれど。
家だからこそ、自分の好きなお酒など、いろいろな種類が楽しめる時代になったことも。
でも最澄は、特に飲酒に厳しい人のようでした。
飲酒するものは私の弟子ではなく仏弟子でもないから、ただちに追放するよう言われてますので、私は弟子になることが叶わなかったと思います。
みなさんも、身近にある幸せ。探してみませんか。