雰囲気づくり

雰囲気とは、その時にいる人しだいで良くも悪くも変化することが多いように感じます。

例えば、お店に入ったとき。静かで、ゆったりとした時間を感じたい場所で。働いている人だけでなくお客さんも、その流れに合わせるかのように過ごしている。

もしも、すごく大きな声で、しゃべりづつける人などいたら、その「いい雰囲気」は、あっという間に、どこかへいってしってしまう。

何か分からない時、困ったときのしぐさを察知するように動いてくれる店員さんだったら。自分の代わりに、心地よい言葉づかいで、上手に声をかけてくれる人だったら。

その空間は、どんなに素敵なものになるだろう。

早い話が、いくら素敵な場所であっても。素敵か、そうでないかは今いる人たち全員の一体感にかかっているということ。

誰か一人でも、自分を中心に行動してしまったら、それはあっという間に壊れてしまう。

だからこそ、きっと初めてであろう、このチームの一体感でつくられた雰囲気はかけがえのないものになる。

そんな場所にいられるだけでも幸せ。なるべく、その雰囲気がつくれる場所に訪れる。

時には、京都のお寺さんや庭など。間接的な一体感もあるけれど。

しーんと静まりかえった場所で、その作品の時代背景に飛び込む。想像の世界にひたることのできる環境。

私は、雑音を気にしないことが、今でも苦手なので。

何気なく、その雰囲気を味わっている時。建物のなかを歩いている際は、自分が歩いた時に発する床のきしみ、庭を歩いている場合には、玉砂利を踏む音や、鳥のさえずりや水の流れる音、風で木々のこすれる様が感じられるくらいだと有難い。

きっと、それらの雰囲気も合わさって、安らぎを与えるように造ってくれた作品だと思うから。

今の季節は、梅にも少し早く。華やかではないかもしれないけれど。その場所ならではの雰囲気を味わうには、良いころなのかもしれません。

誰かといれば、話したくなる気持ちもわかりますし。全ての人が、仏像や庭に興味があるとは思っていない。

昔、学生のころ。修学旅行などで訪れた自分がそうだったように。

その寺に行くことは、みんなといるためのきっかけでしかなく。それをもとに、仲間と話をすることのほうが楽しかったから。

どれだけ有名な方の作品だったかも。もちろん気にしていませんでした。

だからこそ、自分の気に入った空間に身をおけることに今は幸せを感じます。

昨年の今ごろは、緊急事態宣言の延長がささやかれていたので、旅行を計画できる状況でもありませんでした。

今は、まん防の延長が話題になっているけれど。気をつけながらであれば、旅行もできる環境になっているから。

飲食店ほど、国から補助を受けていないレジャーや、観光業界を守るためにも。

地元のひとが安心して過ごしつつ、収入も得られるため貢献しに行く気持ちで。

今ならではの楽しみ方。ひと気の少ない場所で、そこの雰囲気を楽しめるところは、日本にもたくさんあるから。

幸せをかみしめつつ、さらに自由に過ごせるときを待つ贅沢な場所。

みなさんは、どこか見つかりますか。

いつでも行けると思っていた、近所の美術館や博物館もいいかも。

誰かが一生懸命につくってくれた環境だけれど。平日など、普段はあまり人が集まらない場所。

そんなところに、かけがえのない体験が待ち受けているかも知れません。

何はともあれ、話をしたこともないかたで、一緒にそのような雰囲気をつくってくださったことに感謝します。

ありがとうごさいます。これからも、そんな出会いを楽しみにしています。

海外で今おきている、人々の生活に不安を与えている状況が、一日でも早く収まることを願いつつ。自分のおかれている環境にも感謝して。

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