自力作善

自力作善(じりきさくぜん)。

その意味を調べてみると、自分の力で善を成し遂げようとすること。独力で善を成し遂げられると思うことだと書かれていました。

また、親鸞が「歎異抄」の中で「他力本願」と対比させ、宗教的には正しくないあり方と説いたとも。

去年の今日、私はブログで「好きな言葉」だと書きましたが、ちゃんと理解していなかったことに衝撃を受けました。

自分で良いことを増やしていく生き方。そこには、人など環境が関わるものもあり、自分には非がなかったとしても、「申し訳なかった。」、「教えてくれてありがとう。」など、今後の良いことにつながる立ち振舞いも含む言葉だと思っていましたが違いました。

自分が善人だとして、生きていくこと。だから、いつも自分が正しいのだと、良くないことがあれば人や環境をせめる。

要するに、自分勝手ともいえる人生を送ることになります。

ある寓話で読んだ話。

一方は善人ばかり。もう一方は悪人ばかり。

ケンカが絶えないのは、善人ばかりの家。

悪人ばかりの家では、たとえば部屋に置かれているものに足をぶつけて転倒したとき、「私がもっと気をつければ良かった」、「私がそんなところに置いてしまったから」と、自分を悪者にする。

それと比べて、善人ばかりの家では、「誰がこんなところに置いたんだ。」、「いつも部屋を片づけろと言っているのに。」と、自分の正義を主張する。

この、後者にあたる人だとは。

勉強不足なまま、他の人にも話していなくて良かったと思います。

ブログでは、誤ったことを書いてしまいましたが、一年後の今日、訂正をさせていただきます。

こういう意味での自力作善は求めていません。

自分が正しいと思うことは主張しつつ、相手の意見にも耳をかたむける。

自分が正しかったことにも謙虚に。

相手が正しかったことには謝罪や感謝を。

キチンと言葉で伝えることを大切に、みんなが幸せな家の人になる。

時には善人。時には悪人。

それぞれを皆がもっているからこそ。

「お互い様」という言葉も生まれる。

みなさんは最近、善人になりすぎたと感じることはありませんか。

自分の良いところを認めるのも大切ですが。相手を善人にし、自分を悪者にすることで生まれる幸せの存在も大切にしたいですね。

ロシアと、ウクライナとの争いが起きている今、あらためてそう思います。

一日も早く、おさまってくれることを願って。

これ以上、失うものを増やすことがないように。

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