町を歩いていたら、桜の花びらは、ほとんど地面に落ちていました。
その道こそ、まさに花道。何だか心をウキウキさせながら、歩くことが出来ました。
こんなとき、ふと頭に思い浮かぶのは京都のこと。
勝持寺のベンチに座り、桜吹雪まう光景をながめ、ウグイスの鳴き声と風で木々がゆれる音だけを楽しむ幸せな時間。
大原野神社の千眼桜も、ハラハラと花びらを落としている頃だろうか。その姿を目にしたかたの願いで、より多くの人が笑顔になれますように。
哲学の道の桜がつくる「花いかだ」は、どうだろう。花びらが落ちる頃、風が強いと川を花びらが埋めつくし、ピンクのいかだが流れていく。
まさに自然がつくりだす癒しの空間。
人の力をくわえずに、限られた時間しか見られないからこそ、体験できた時には感動する。
今年は見ることが出来なかったけれど、ふとした瞬間に思い出せる、記憶という能力が有り難い。
一度、体験しておけば、いつでもよみがえる。
ある記事で読んだ話。
入社後も、コロナウィルスの影響でリモートワークが続き。
家族のそばにいれたり。自分の好きな場所で、移動時間もなく、時間を自分のため有効につかえて嬉しかったけれど。
実際に会いたいと思ったらしいです。
たしかに、毎日ひとに囲まれて仕事をする環境で。ましてや、それが知らない人であれば、働きに行くのが嫌になることもあると思います。
でも、個別で。仕事をつうじて時間をともに過ごした相手だから。実際に会ってみたいと感じる。
画面をつうじてではなく「生で」。
パブリックビューイングよりもライブ会場で。実際に目の前に存在し、枠がないから味わえる感動。
たしかに、会場との行き帰りは大変だけど。その苦労を乗り越える価値がある体験が待っている。
メタバースや、アバターという言葉を聞くようになりましたが、相手に興味をもち、実際に会いたいと思う人がいる。
自分だけでなく、互いにとって素晴らしい体験につながる行動の大切さ、あらためて感じました。
自分では、コントロール出来ない環境だからこそ、辛いと感じるのかも知れません。
自分の心は、誰にも縛られることはないので、自分が好きな場所で、好きなことを好きな人たちに囲まれて過ごせるように。
自分の心に向き合う時間も大切にしたいですね。
自分らしさの良いところ、好きなものとの距離が近づくように過ごす。
たとえば、笑顔や気づかいなど。
子供でも出来る簡単なことかも知れません。
分からなくなったら、外の世界を歩いてみる。
自然は、心を癒してくれる。
行き交う人は、自分に大切なことを教えてくれるから。
感じのいい人は真似てみる。
感じの悪い人にあるものは、ない自分を称賛するチャンス。
自由に歩きまわれる幸せを大切に。