指導するということ

指導とは、その意味を調べてみると、「ある意図されたほうへ教え導くこと」と書かれています。

特に今までされた経験がある人など。その言葉に、あまり良い印象をもたない人もいるのではないでしょうか。

自分が否定された感じになるから。正しいと思ってやったことなら尚のこと。

でも「意図」とは、目指していることでもあるから。そこに、自分が学べるものも含まれているのではないでしょうか。

なぜ、それを言われたのだろう。そこには、自分からは見えていなかった「何があるだろう」。

感情的になり、自分の思いをぶつけるまえに。

冷静になって、その物事に対して、冷静に考えてみる。

自分のことだから、感情になってしまうなら。

誰かが、同じことをしたらどう思うか。それを考えてみる。

言われる人も辛いと思うけれど、もっと辛いのは言う側なことが多くあります。

特に、白黒つけられないものや、今までは許されていたことなどグレーなもの。

人それぞれ、言い分や正義をもっているから。

特に日本人は、協調性を大切にしている人が多い印象なので。「みんなもやっている」を判断の基準にするなど。

だから、自分がガマンすればすむとか。言えばきっと今までの関係が悪くなるとかで、黙っていることのほうが楽。そんな気持ちを乗り越えて、言う勇気を選択した人の気持ちも大切にすると、お互いがもっと幸せに近づいて。さらには、その周りの環境まで良い影響があるかもしれません。

でも、特にそれが感じられるのは、相手の立場になった人たちの集まりの場合。

自分よりも、まず相手の気持ちにより添える人たち。そういう輪の中で過ごせる存在に、自分もなることが大切なのだと思います。

どこに、その輪があるのか。誰がそういう人たちなのか。
それは、自分が「その場所にいることがふさわしい人間にならないと見つけるのは難しいかもしれません。」

引き寄せの法則。みなさんは、聞いたことがありますか。

私も昔、そのような言葉は、何だか怪しいと思っていた頃がありました。でも今は、きっとこういうことなのだと、気づくことが増えています。

集中すると見えてくるものがある。

その集中するものが、本などから「指導される情報」を見つけ出し、自分を進化させてくれる。

人に言われると、その人がどのような立場や存在かでも受け止め方が違ってくるけれど。

本は、自分が文章から読みとっているので。文章の言葉選びが偉そうでも気にならないし、著者がどのような人かも知らないから。

自分にとって、大切な言葉だけが吸収されます。

いつの間にか、そんな自分になっていたことも、教えてくれたのは周りにいる人たちでした。

私自身、それは気にしていなかったのだけれど。気がつけば、意図するほうへすすんでいたことを知らせてくれた。

たしかに、その人たちといると心地よい。

自分らしくいられるし、その人たちのため自分を活かせるなら幸せだと思う。

言われてやるのではなく、自分の心のなかから湧きあがってくる気持ち。

気がつけば、自分が望む輪の中にいた。そんなことも、引き寄せのひとつなのかもしれません。

指導とは、悪いことを正す印象が強いかもしれないけれど。

未来の自分がより魅力的な存在になれるよう、教えてくれる指導の大切さ。忘れずにいたいですね。

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