今日は個人的な記念日なのですが、苦しみ(9)から生まれた幸せ(8)に感謝する日です。
一昨年の今日は、台風15号により千葉県など、大きな被害があった日。
「令和元年房総半島台風」と命名され、ゴルフ練習場の柱などが住宅に倒れかかる映像をテレビで見たひとも多いと思います。
私もその日、たまたま千葉で仕事をしており。電車だけでなく、バスも止まっている状態。
歩いて、家まで帰りました。
あれほど、恐怖を感じたことはありません。
駅でいえば、二駅分くらいだったと思います。
そのなか、雨だけでなく。突風も受けながら。途中、歩いて帰る選択に後悔しつつも、前に進むしかない。
車も、ひとの姿もなく。この世界にたったひとり残されたような感覚。
テレビで見た柱のように。何が倒れてきてもおかしくない。
ちょっとしたものが飛んできて、自分に当たっても大ケガする可能性と常にとなりあわせでいる恐怖。
よく、畑や海を見に行ったひとが、行方不明になったニュースを耳にしていたけれど。
何らかの理由で、どうしようもなく出かけて。今の自分のような気持ちでいたのかも知れないとか考えつつ。
一歩ずつ確実に。ただ無事に家へたどり着けることだけを願って歩く。
少しでも早く帰るため。近道をしたつもりが、道に迷い。方向感覚もあやしく、見知らぬ場所にいる不安。
こみ上げる怒りも、今は無駄なエネルギーの消費なだけだと冷静になるよう言い聞かせる。
頭を冷やすには、十分すぎるほど雨は身体に打ちつけていました。
ようやく見たことのある場所に、たどり着けたときは本当に嬉しかった。今でも、その時の光景が目に浮かびます。
そして帰宅。冷えたからだをシャワーが温めてくれる。
外はまだ、風がうなり雨も窓に打ちつけているけれど。こんなに家が頼りになること。守ってくれる有り難みも感じながら過ごす。
音がうるさくて眠れないなんて。それまで、本当にちっぽけな問題にとらわれていたのにも気づかされました。
ほんの2年前の出来事。あの時、自分にもしものことがあったら。
みなさんにもそんな経験はありますか。
その後に、コロナウイルスが流行り。今にいたるのだけれど。
辛いこと。失ったものもありますが、生きていて良かったと思います。
あの日、あの時も辛かったけれど。その体験があったから、今は以前よりも幸せを感じられるようになりました。
当たり前になっていることのなかにある幸せにも気づくことが出来るようになったから。
きっと皆さんも一緒ですよね。コロナウイルスが流行ってから、辛いとか苦しいと思ったり、恐怖を感じたことありますよね。
この嵐を抜ければ、今まで以上に幸せを感じる日々が送れると思います。
辛いと、幸せの漢字は似ています。ちょっと加えるだけで変えることができる。
体験したくなかったけれど。体験したことで、得ることができる喜び。
苦しい体験を、ハッピーに変える気持ち。その大切さを思い出すための記念日に。
みなさんは、賛同してくれますか。