信用と信頼。
どちらも信じるという漢字がつかわれていて。そのあとに、用いるか頼るが付いている。
人に言うと書いて「信じる」。その人が、発した言葉で関係性は決まるようにも伝わってくる。
漢字を覚えるのは、大変だけれど、こういう語源がありそうなものは、いつまで経っても忘れないものですね。
最近ではSNSが流行り、人とのつがなりも簡単になったから。
それをきっかけに、承認欲求が満たされる人もいるようですが。その反面、広がりすぎることによる希薄化も感じる人が増えているようです。
発信する側が、個人に対して反応するには限界があるから。受け手としては、その反応に物足りなさや、不満が生まれているのかもしれません。
YouTubeやTwitterなどで、登録者数が少なければ、コメントを返してくれることで幸せを感じるけれど。
芸能人のように、登録者数が多いと一方的なコメントがほとんどだから。直接というよりも、同じ登録者同士や、周りにいる人との会話で満たされることも多いように思えます。
そのせいか、注目されたいがために、あえて炎上しそうなことを書いてみたりする人も。
せっかく同じコミュニティーにたどり着いたのに、何だかもったいない気がするけれど。きっと誰かとつながることで、自分の承認欲求を満たしたいという想いをもった人もいそうですね。
いずれにしても、人から信頼されるような行動ではないから、ひかえている自分を認めたり、そのような行動をする人に世間が反応する様子をみて、我がふりを直せるような、人の失敗を自分に活かせるといいのかもしれません。
これは、受け手だけの話ではなく、もちろん発信する側も同じで。
もともと炎上させそうな人のSNSを見に行く人は少ないと思うけれど。その気がない人でも、Twitterなどは簡単にシンプルな書き込みになる分、誤解をされるようなことにもつながりかねません。
だから、きっと気分が落ち込んでいたり、もやもやしている時などは書き込みをひかえるとか。信用や、信頼を失うことがないように、配慮しているのではないかと思います。
いつも、ためになる動画や、気持ちが上がる書き込みをしている人たち。きっと、そんな苦労をしてでも、誰かを元気にしたり、幸せにしたいから行動してくれているのでしょうね。
そして誰かが、幸せになれたことを報告してくれるから。また、新しいことを残したくなる。
そんな承認欲求が満たされる、幸せなサイクルこそ信用や、信頼につながる大切なもの。
多くの人とつながれるツールをせっかく活かせる時代に生まれてこれたから、私も誰かの不幸ではなく、幸せな気持ちがひとつでも生まれるようなものが残せたらいいと思います、