楓蔦黄なり(もみじつたきなり)

今日から、霜降の末候です。

楓蔦黄なり(もみじつたきなり)

紅葉や蔦が色づく季節。新暦では、11月2日から、11月6日ごろ。

山が紅葉などで色づくことを、山粧う(やまよそおう)というそうです。

春は山笑う。夏は山滴る。冬は山眠る。

このように、季節とともに移り行くさまを、ひとのように表現するところに日本人らしい温かみを感じます。

道を歩いていると、桜の葉など色づいた姿を見るようになりました。

夏の青々したのとは違う、まさに粧うという言葉がよく似合う風景。

そのなかでも有名なのは、やはり紅葉や銀杏など。

私が住んでいる近所には、植わっていないので、どのくらい色づいているものなのか、その姿が恋しくなります。

京都へ行くと、市内を歩いているだけで出会える姿。

庭師のかたなど、キレイにしているところも京都ならでは。どこへ行っても、植物園を歩いているように、木々や花が美しく見えます。

これから、どんどん色づいて、紅葉のシーズンを迎えるのでしょうね。

毎年、思うのですが。幼い頃、紅葉は10月や11月のイメージでした。

秋とか、遠足がそのあたりなので。

大人になってから、京都へ行き。11月のあたまくらいでは、まだちょっと早かったと思うこともしばしば。

それなら、もっと遅くいけばいいと思われるかも知れませんが、この時期ならではの酒の肴がいただきたくて、なかなか難しいんですよね。

花よりだんごならぬ、紅葉より肴ということです。

食べ物の旬は、時期が決まっているけれど。紅葉は、ときに早く色づいてくれていることもあるから。

種類によっても違いますし。移り変わっている姿。あの色のコントラストも良かったりします。

落葉樹なので、町中の銀杏は、ある程度の季節になると強制的に葉を落としてしまいます。

もったいないと思うけれど、掃除が大変なのと。美化を守るためには、公園などと違い。しかたないのかもしれません。

紅葉は、落ちる姿や、土の上に敷かれているのも様になるので、いつかまた、その時期に訪ねたいと思います。

首都圏では、もうすぐクリスマスのような冬の装いがされる頃ですね。

たしかにそれも華やかでよいのですが、京都のような自然がつくりあげた風景にも魅力を感じませんか。

冬は、眠る。人為的に装うのではなく。ありのままの姿を楽しむ。

その姿があるから、春が近づき、新しい芽がでてくるところに生命と幸福を感じることができる。

自然とともに過ごしてきたから、得ることのできた幸せ。

心身ともに癒されるものは、そこにあるから。

見た目のキレイさだけでは、目や身体が疲れることもあるし。飾られた木々たちも喜んでいないかも。

人と同じ、植物もありのままの魅力を忘れないようにしたいですね。

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